「発達の凹を克服しない」NPO法人 発達障害をもつ大人の会(DDAC)代表 広野ゆいさん(第2回/全5回)

■察することができず苦労した、秘書時代

yu-ka:仕事内容を不安に感じられる部分もありつつ、実際に秘書のお仕事に就かれたとのことですが、秘書のどんな仕事内容に対して、特にそう思われたのですか?

広野さん:人の面倒を見る、スケジュール管理をしっかりとする、先々のことを考える、言葉遣いに気を付けるなど…「これは私の住む世界じゃないな」という気持ちがあったんです。どちらかというと、私が秘書を欲しているくらいだよっていう(笑)。

取材はNPO法人発達障害をもつ大人の会(DDAC)にお伺いしています。私たちも「発達凸凹活用マニュアル」に助けられました!

yu-ka:私が秘書を求めている…とても分かります。発達凸凹さんの多くが思っているかもしれませんね。発達凸凹の特性で困られたことはありましたか?

広野さん:もう、全部ですね(笑)。大学病院の教授の秘書だったんですが、教授よりも、同僚の秘書の方との関わりに苦労しました。「これをやって」とはっきりと言ってくれなかったので、「何かが求められていることはわかるんだけど、具体的に求められてることは分からない」。遠回しに怒られていたことを、私自身理解していなかったと思います。空気を読んで察して、という感じで私には難しかったですね。

yu-ka:そうなんですね。他に苦手な仕事はありましたか?

広野さん:電話応対も難しかったですね。何か、電話って「特有の喋り方」があるじゃないですか。周りの方は、なぜ電話を取ったら、電話用に口調を変えられるのだろうと。私は電話でもいつも通り、普通に喋っていました(笑)。

yu-ka:「あっ!こんにちは~」っていう感じですかね(笑)。

emo:発達凸凹の方は、聴きながらメモをとることが苦手と言われがちですが、そのあたりはいかがでしたか?

広野さん:そうですね、それも苦手だったんですが、苦手に見せないように上手く誤魔化していました。逆に、私がよかれと思ってやっていたことは、大抵やらなくていいことだったんですよ

yu-ka:やらなくていいとは、例えばどんなことですか?

広野さん:例えば、ある番号リストがあったんですが、もっと見やすく作ってあげようと、自分で書き換えたり、勝手に書式を変えたりして。でも、そういうことって「やってはいけないこと」なんですよね(笑)

yu-ka:なるほど(笑)。お気持ちが分かる気がします。

広野さん:ASD傾向があるので、自分の世界でものごとを判断してしまうんですよね。秘書は「勝手な判断」が許されない世界なので合っていなかったですね

emo:僕も、結構あります。やんわり(婉曲に)言われても気づかず、きつく(直接的に)言われて、ようやく気づくっていうことがあります。

広野さん:そう!例えば「ゴミ箱いっぱいですね」って先輩が言うんです。そういう言い回しを「察する」ことができない場面がたくさんあったんです。

emo&yu-ka:(爆笑)自分にも思い当る節があります…。

yu-ka:逆に秘書の当時、お仕事に活かされていたな、というご自身の長所(凸)はありますか?

広野さん:まず、文章を作るのは得意だったので、先生宛ての手紙の返事を、代わりに書くことなどは苦に思わなかったですね。

あと、大学病院の先生って非常に多忙なんですね。なので、フットワークが軽いのは役に立ちます。必死で捕まえて、その場でいろいろやるべきことを終わらせてくれるのは、秘書としてありがたいと先生には言われましたね。「これをやって。この手紙返信書いて。ここ連絡しといて」と明確に言ってくれる先生だったので、私の特性に相性が良かったです。

それでも勤めて半年くらいで結局、鬱になりましたね。出来ないと分かっていながらも、当時は自分への期待もあり、「がんばりが足りていないだけ」と思って続けた結果です。

当時は鬱だと気づいていなかったんですが、土日は寝たきりで、ついには電車にも乗れなくなりました。それで結婚を機に、約1年で秘書を辞めたんです。

■甘くない結婚生活。パートナーの無理解

yu-ka:ADHDにとって「主婦・子育て」って難関….と思うのですが…。

広野さん:地獄でしたね。ADHDってわかる前は、家の中が崩壊していましたね。何か家事をしている最中に、他の事に気を取られてそれをやり、また次の事を始め出すという連鎖が起きて。全ての家事が途中で、気が付いたら夕方になっているんです。

yu-ka:あ~私も気づいたら時間だけが経ち、自分にイライラすることがあります。

広野さん:疲れ果てていて動けなくなっている状態で、パートナーが帰ってくる。「一日中家に居て、何やってるの?お前みたいな奴生きている資格あるのか?」って言われたりして。

発達障害と診断されたことをパートナーに打ち明け、私をサポートする義務があると伝えたのですが、「そうなのか!」…とはならなかったんですね、これが(笑)。「なんで、フォローしないといけないの」って言われました。そこから、暴力を振るわれだしたんですね。自分の言うことを聞かないっていうのは許せないし、自分の思い通りにならないと手が出る、という。その環境から逃げるために、私は家を出ました

でも私にとっては、「逃げることができた」ことが、すごく成功体験だったんです。暴力から逃げることは、大変だし、そもそも暴力を受けていると、気づくことが難しいことだし。仲間に話を聴いてもらったり、自ら色んな場所に足を運んで相談に行ったりできたことが良かったと思います。

■「大人のADHD」が診断されるまで。本当に長い道のり

yu-ka:先ほど、発達障害の診断を受けられたと伺いましたが、診断名は何でしたか?

広野さん:今の診断はADHDですが、ASD傾向もあります。

もっとも、一番初めの診断は秘書時代からの「鬱」だったんです。今でいう発達障害の二次障害だったんですね。「ADHD」という言葉は病院で教えられたわけじゃなくて、初めて知ったのは20代後半のことなんです。その頃、いとこの息子さんが発達障害と診断されて、親戚一同「発達障害ってなんじゃそりゃ~」ってなった訳です。そこで母が、この『のび太、ジャイアン症候群』という、子どものADHDの本を買ってきました。読んでいたら「うーわ、これ私やん!」って気がつきました(笑)。

emo:本のどのあたりで、特にそう思いましたか?

広野さん:「こんな風に困っているけど、分かってもらいにくい」っていうとこですかね。私は「のび太型」の頻度が高くて、忘れ物が多い、授業中真面目でない、先生の指示に従わない、飽きっぽいとかね~。

本に「面白いことをしているときは、ワクワクとして楽しそう、しばしば自己嫌悪と劣等感に捕らわれている、僕は何もやってもダメだ、僕なんてと呟く…」ってあって、これだ~!と。

「お母さん、私これだわ」って言ったんですが「こんなの、みんなにもあるよね」と言われて(笑)

yu-ka:私も「みんなそうだよ」と言われてしまって、辛さをわかってもらえないと思うことがあります。「ADHD」という概念に気づかれてすぐ、診断を受けに行かれたんですか?

広野さん:そこなんです!これADHDの子どもがいるよという本なので、「大人にもADHDがある」ということは、書かれていなかったんですよ。後に出版されることになる『片づけられない女たち』という本を読んで、当事者会が全国で立ち上がったんです。それまではほぼ皆さん未診断だったんですよ。

yu-ka&emo:え、未診断ですか?!

(第2回・終 取材:emo & yu-ka 文:yu-ka 編集:yuh & emo 撮影:yuh)

ADHDに気づいた広野さん、集まりはじめる発達仲間。次回はついにDDACができるお話です。その中で「片付けるより大事なこと」があることに気づきます。 第3回もお楽しみに!

「発達の凹を克服しない」NPO法人 発達障害をもつ大人の会(DDAC)代表 広野ゆいさん(第3回/全5回)

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